ストーリー
1944年3月19日、ドイツ軍はハンガリーに進軍し、短期間でかつての同盟国を占領した。ヒトラーは、戦争に勝てないことを知っていたが、もう1つの戦争、ヨーロッパのユダヤ人の根絶という目標は、達成が可能だった。
ハンガリーには、まだ75万人ものユダヤ人が住んでおり、大量殺人は実行者により再び開始された。
東部戦線ではソ連軍が夏の攻勢への準備を進める一方で、ハンガリーではヒムラーの指示のもと、反ユダヤ法が制定され大量殺人に必要な基礎が作られた。2ヵ月後、計画どおり移送が始まった。ヒトラー自身が命令したので、厳しい東部の鉄道状況にも関わらず、アウシュビッツへの列車は優先された。43万7000人のユダヤ人が、2ヶ月の間に移送された。ハンガリー在住のユダヤ人の80パーセントが、ここから直接ガス室へと送られた。アウシュビッツではガス室と焼却炉は途切れることなく、12000人もが毎日殺され、焼却炉は、大量の死体を処理することができず、死体は屋外の穴で焼かれた。
1944年7月20日、総統の参謀本部で暗殺の爆発が起こったが、失敗に終わった。
1月27日、ソ連軍の部隊が初めてアウシュヴィッツに到着した。飢えた7500人の囚人が、死の瀬戸際にいた。死体や、殺されたユダヤ人の何トンもの髪の毛、トランク、眼鏡などの所有物が、山となっていた。救出した部隊も解放された者たちも、あぜんとするだけだった。
連合軍は、恐怖の結果を目にした。マイダネク、マウトハウゼン、ダッハウ、ベルゲン・ベルゼン……。解放後も何週間にもわたり、収容所の人々の死は続いた。その後何年も伝染病や栄養不良の苦難があった。多くの人々の生き残ろうという意思は、徹底的に打ち砕かれた。恐怖のシステムはきわめて有効に機能したために、実行者が姿を消した後も、その効力は続いていた。
収容所の解放は、世界に対し、12年におよぶナチス支配の結果を示すこととなった。ホロコーストにより、600万人のユダヤ人が殺害された。これは20世紀の原罪である。